私の原点は、みよばあちゃんです。
突然ですが、
私はみよばあちゃんが大好きです。
祖母のことです。
帰省すると、
必ず立ち寄っていました。
祖母の部屋はいつも、
自分で描いた水墨画や水彩画、
スケッチブックが所狭しと置かれ、
障子には富士山、襖には竹林が。
そんな
水墨画の「らくがき」に
囲まれた空間でした。
お茶を飲みながら
たわいもない話をして、
帰るときには毎回決まって、
こう言われるんです。
「いいかい、
人様に喜ばれる仕事をするんだよ。」
そして最後に必ず、
もう一言。
毎回涙ぐみながら、
私の両手を握りしめて――。
「車には気をつけるんだよ。
あんたのカァちゃんは
私の大事な娘なんだから、
悲しませることはしちゃダメだよ。
頼んだよ。」
そう言って頬にキスをする。
それがいつものお別れでした。
その言葉が、
気づけば
私の仕事に対する姿勢となり、
その優しさが今の私をつくっている。
と感じています。
だからこそ、
スタジオの名前には
「喜」
の字を入れました。
それは、みよばあちゃんから
贈り物と思っています。
理学療法士として挫折の連続
私は最初、
営業職に就きました。
でも26歳のとき、
「もっと、
目の前の『誰か』を
直接助けたい。」
と思うようになり、
理学療法士になる
決意しました。
その頃、
漠然と
「ゴッドハンド」
に憧れ、必死に勉強しました。
でも、病院で働き始めてから
現実を知りました。
いくら勉強しても、
いくら技術を磨いても、
「治せない」患者さんが
目の前にいる。
ある日、
患者さんからこう言われました。
「先生が頑張ってるのに、
治らなくてごめんね。」
本当は、
私が
「ーー申し訳ない。」
このままではいけない。
もっと、成長しなければ。
2人の恩師から学んだこと
私はすがる思いで
恩師に悩みを
打ち明けました。
「論文を読め。
論文が一番確かな先輩だ。」
その言葉が転機でした。
私は何とかしたくて、
必死に論文を読み始めました。
その後、
幸運にも、
アメリカで活躍する理学療法士に
出会えました。
その方から
様々なことを教わりました。
その中でも
深部静脈血栓症
(エコノミークラス症候群)
の見分け方は、
衝撃的でした。
「災害など避難所の体育館で、
善意で
運動のボランティアをするのは、
実は とても危険 です。
なぜなら、
深部静脈血栓症
(エコノミークラス症候群)
を抱えた人がいるかもしれない
からです。
もし
その人に運動をさせてしまったら、
最悪の場合
命を奪ってしまう。
「でも、
エコー(超音波検査)がない場所で、
どうやって判断するの?」
しかし、
判断方法は
医学論文
でしっかり示されています。
一般の方が 知らずに
ボランティアとして運動を促す。
その結果亡くなってしまったとしても、
それは 善意の結果
となるかもしれません。
でも、
医療職は違います。
「知らなかった」
では済まされません。
これは避難所に限ったことでは
無いですよ。」
その言葉に背中が凍りつく
思いがしました。
「英語論文を読みなさい。
最新の情報は
全て英語で書かれている。」
「医療者の知らなかったは罪になる」
だから私は、
12年かけて英語論文を
読み続けました。
良質な情報だけを厳選し、
整形外科疾患から内科・更年期
・運動療法まで、
広く深く、今も学び続けています。
ゴッドハンドから
ジェネラリストへ
論文を読み、
様々な知識を得ると
「ゴッドハンドになりたい」
その夢はやがて、
「ジェネラリストになりたい」
という想いへと変わっていきました。
ジェネラリストとは
特定の分野に特化した
「スペシャリスト(専門)」
とは違い、
どのような症状にも対応し、
必要に応じて専門医に
つなげる役割を持っています。
でも今は「ジェネラリスト」として、
幅広い知識で患者さんを
「つなぐ存在」でありたい。
かかりつけ医のように、
「何でも話せて、頼れる存在」
となりたい。
「もっと早くに動いていれば」
この想いが、ずっと胸にあります。
病状が進んで手術もできず、
リハビリで改善が見込めない――
そんな患者さんに、
何度も出会いました。
・「もっと早く
運動を始めていれば…!」
・「健康だと思っていた”あの頃”に
気づいていたら…!」
病気になる前に、
「今から何かを始めること」
の大切さを、
私は誰よりも知っています。
でも、「元気なとき」に言われても、
なかなか届かないことも、
よく分かっています。
それでも私は、伝え続けます。
手遅れになる前に。
未来の笑顔のために。
ピラティススタジオを
立ち上げた理由
病院では
「予防」に関わることが難しい。
だから
病院という場から一歩出て
スタジオを持つことを選びました。
ここは、
完全予約制のプライベート空間。
医療知識とピラティスを融合させて、
「動けるカラダ」を育てる場所です。
未病だからこそ、
「今」が分かれ道。
10年後も伊吹山に登れるカラダへ。
そんな未来のために。
人様に喜ばれる仕事を
みよばあちゃんは
自宅で転倒し、骨折しました。
手術を受けたものの、
術後に深部静脈血栓症
(エコノミークラス症候群)
による脳梗塞を発症しました。
骨折と麻痺、進行する認知症――。
リハビリは続きましたが、
寝たきりの生活となり、
1年後に亡くなりました。
あのとき、私は担当の理学療法士を心の中で責めました。
「どうして
気づいてくれなかったんだ?」
「同じ理学療法士なのに…!」
「エビデンスを知らなかったのか!?」
私も医療人です。
高齢者にはリスクが伴うこと、
思いもよらない出来事が
起こることも理解していました。
それでも、
えもいわれぬ感情は
しばらく消えませんでした。
あれから幾つかの年月が
過ぎていきましたが、
今でも、
私の胸に響く言葉があります。
「いいかい。
人様に喜ばれる仕事をするんだよ。
頼むよ。頼んだよ。」
みよばあちゃんが、
何度も何度も
繰り返し言っていた言葉。
それが、私の原点です。
だからこそ、
私は 「喜ばれる仕事をする」
という想いを胸に、
あなたの人生が喜びに満ち、
楽しくなるように。
あなたの未来に、喜びと楽しみを。
そして、大切な人と一緒に、
笑顔あふれる毎日を。
心を込めて。
喜楽結 小田 実